穂積重樹(ほずみしげき)     文化8年?〜明治14年(1811?-1881)

    穂積陳重の父・国学者。愛媛県出身。旧名、鈴木源兵衛重樹。国学を藩校「明倫館」で大和田建樹に師事。宇和島藩鉄砲頭。藩校国学教授。のち、藩家老。維新後鈴木姓から穂積姓に改名。70歳。二男に穂積陳重、三男に穂積八束がいる。なお、穂積敬重も鈴木姓から変えている、また「重」という文字が名にあることから、縁戚の可能性がある。
※ 二男・三男という数え方については、資料により異なるが、生まれてすぐに死んだ子について、数えたり数えなかったりすることも原因と思われる。

墓は、谷中霊園 乙8号11側。正面「穂積重樹之墓」。すぐ近くに穂積八束の妻郷子の墓もある。宇和島藩主伊達宗城墓の近くにあることも意味があるような気がする。