池田蕉園(いけだしょうえん) 明治19年5月13日〜大正6年12月1日(1886-1917)
浮世絵画家。旧姓榊原。本名、池田百合子。東京神田出身。幼い頃から画才に秀で、明治34年(1901)15歳のとき水野年方に入門、明治36年(1903)吉川霊華とともに「烏合会」会員となる。明治39年(1906)美術研精会展に「わが鳩」で受賞、出世作となた。明治40年(1907)東京勧業博覧会に「花の陰」で二等賞を受賞。文展には第1回から第10回まで連続して入選、ほとんど受賞、上村松園とならぶ実力ある閨秀画家として注目された。第1回文展に「もの詣で」、明治41年(1908)第2回文展に「やよい」、明治42年(1909)第3回文展に「宴の暇」、明治43年(1910)第4回文展に「秋のしらべ・冬のまどい」と4回連続して三等賞を受賞、また第2回東京美術及美術工芸展に「桃の酔」で二等賞銀牌を受賞した。この間、明治41年(1908)師水野年方が没し、明治42年(1909)ごろ川合玉堂に師事。明治44年(1911)同門の池田輝方と結婚、おしどり画家として知られた。美人画に優れ、博文館の「女学世界」などの挿絵の仕事もした。さらに同年第5回文展に「髪」、大正元年(1912)第6回文展の第二科に「ひともしごろ」、大正3年(1914)第8回文展に「中幕のあと」でそれぞれ褒状を受け、この年の再興第1回院展に「おはん」で入選、さらに大正4年(1915)第9回文展に「かえり路」で三等賞、大正5年(1916)第10回文展に「こぞのけふ」で特選となったが、翌年急逝した。32歳。代表作:「桃の酔」、「宴の暇」。
池田輝方(いけだてるかた) 明治16年1月4日〜大正10年5月6日(1883-1921)
浮世絵画家。本名、正四郎。東京出身。明治28年(1895)水野年方の内弟子となり、風俗画を研究。一時岡山に滞在した。明治34年(1901)鏑木清方・大野静方らと「烏合会」を結成、また「巽画会」の会員となり、明治35年(1902)日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会の第12回展に「山王祭」、第13回展に「婚礼」でそれぞれ一等褒状を受け、明治40年(1907)川合玉堂に師事。明治44年(1911)同門の榊原蕉園と結婚、大正元年(1912)第6回文展の第二科に「都の人」で初入選、褒状を受け、大正3年(1914)第8回文展に「両国」で三等賞、翌4年第9回文展では「木挽町の今昔」で二等賞を受賞。大正5年(1916)第10回文展に「夕立」を無鑑査出品、夫婦ともに特選となるが、妻蕉園を失う。大正8年(1919)第1回帝展に「絵師多賀朝湖流さる」を推薦出品、石井林響らとともに「如水会」の結成に参加。浮世絵の流れをくむ風俗画家として活躍するが、長らく肺を患い、大正10年5月6日神奈川県大磯町で急逝。38歳。
墓は、谷中霊園 甲8号乙10側。写真左:正面「蕉園百合子/普門品ひねもす雨の桜哉」。写真右:正面「池田輝方/池田輝之 之墓」。