井上八郎清虎(いのうえはちろうきよとら)    ?〜慶応元年(?-1865)

    北辰一刀流の名人。父、井上延陵。名、清虎。字、八郎。日向延岡藩浪人から幕府に登用される。山岡鉄太郎の父飛騨郡代小野朝右衛門から飛騨高山演武場「修武館」師範として江戸から迎えられる。お玉が池千葉周作の門弟。山岡鉄舟が小野鉄太郎時代の嘉永5年(1852)に井上八郎清虎に入門している。安政3年(1856)「講武所」槍術教授方・師範役。諸資料が、延陵と清虎を同一人物としているが、親子である(幕末英傑録・谷中過去帳)。

谷中霊園 了ごん寺墓地。谷中霊園隣接地 甲3号5側奥。さくら通りから入って最奥。正面「井上八郎清虎墓」。書は、佐藤泰然の子で法眼松本良順。墓碑裏「慶応元年9月為先生之需/良順法眼之順拝書」。
※ 2009年11月撤去。新規分譲地となった。