井関盛艮(いせきもりとめ)    天保4年4月21日〜明治23年2月12日(1833-1890)

    宇和島藩士・第五代神奈川県知事。父、伊達氏に仕えた宇和島藩士。安政6年(1859)山奉行。文久3年(1863)大目付役軍使兼寺社奉行となり、元治元年(1864)藩主伊達宗城に同行し京都にて周旋方を勤めた。明治元年(1868)藩主の新政府入りに伴い、徴士外国事務局に出仕、長崎に赴任。ついで参与職外国事務局判事となり横浜勤務。明治2年4月17日(1869)第5代神奈川県知事に就任。岸田吟香・陽其二らと我が国最初の日刊紙「横浜毎日新聞」を創刊。明治4年(1871)宇和島県参事。名古屋県令。明治7年(1874)島根権令。明治9年(1876)に退官し、のち第二十国立銀行取締役、東京株式取引所肝煎頭取などをつとめ、実業界で活躍した。56歳。

※ 陽其二(1838-1906)が発刊した官許横浜新聞(のち、横浜毎日新聞)は、井関盛艮が企画し、横浜の貿易商らに出資をつのり、刊行に至ったもの。また、伊勢山皇大神宮(横浜市西区宮崎町)は、明治3年(1870)に井関が建立の建白書を太政官に送り建立に至ったという。なお、横浜居留地のガス灯敷設においても尽力した。

墓は、谷中霊園 乙8号11側。「とめ」の字は、良の上の点がない字。正面「正五位井関盛艮之墓」。