加藤貞興(かとうさだおき)     天保13年〜明治23年9月30日(1842-1890)

    明治期の自由党員。慷慨の士。自由党には、いつごろから参画したのか不明だが、自由民権運動に参加し、河野広中らと共に福島事件・高田事件・加波山事件・秩父事件などのいずれかに関わりをもっていたものと思われる。49歳。

※ 自由党:明治13年(1880)に板垣退助・河野広中(1849-1923)らが結成した日本最初の近代政党。初代総理(党首)は板垣退助、副総理に中島信行、常議員に馬場辰猪・末広重恭・後藤象二郎・竹内綱、幹事に林包明・山際七司・内藤魯一・大石正巳・林正明が就任。明治18年(1885)に急進派の行動を抑えきることができず、解散した。

※ 慷慨:世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。

墓は、谷中霊園 甲9号2側(飛び地)。正面「加藤家之墓」。河野広中書の碑があり、「君慷慨の士夙加自由党尽瘁国事抵死不淪其志偉矣天保十三年生明治廿三年九月三十日卒樹此碑者自由党政友也 河野広中撰書」とある。ただし、墓誌にない。