岡崎惟素(おかざきゆいそ)     天保11年?〜明治38年5月20日(1840?-1905)

    東京株取引所理事。幼名、瀧之助。旧岡山藩士。江戸に出て仕官。のち三菱会社に入り経営面に携わる。明治32年(1899)8月日本逓業株式会社(のち日本通運)の設立に参画、取締役となる。東京株取引所理事。65歳。養子に岡崎遠光がいる。

※ 茶の湯も愛し、松浦詮が在京の華族 、知名士等と設立した「和敬会」会員となる。会員には、青地幾次郎・石黒忠悳・伊藤雋吉・伊東祐麿・岩見鑑造・金澤三右衛門・戸塚文海・東胤城・東久世通禧・久松勝成・松浦詮(心月)・松浦愃・三田葆光・三井高保・安田善次郎・岡崎惟素以上16人で 、世に”十六羅漢”と呼ばれた。

墓は、谷中霊園 甲11号15側。石畳通路に面する。正面「岡崎惟素之墓」。