大槻東陽(おおつきとうよう)/大槻誠之(おおつきせいし) 文政5年〜明治36年5月20日(1822-1903)
儒者。名、籟次のち誠之。号、泰嶺・東陽。父、相模国大住郡下大槻村の名主原幸右衛門政房。天保のはじめころ(1830-)江戸に出て、巻菱湖の弟子牧野天嶺(まきのてんれい)に書を習うが、ここで旧友依田学海と再会する。明治に入り、東陽と改名。明治11年(1878)小石川区より東京府会議員となるが、1年余りで辞職する。明治13年(1880)加藤桜老と東洋的学校「大同館」を創建。続いて活動のPRのため「大同新報」を創刊。明治17年(1884)桜老没後は、一人で運営したものと思われる。出版:「訓蒙 日本外史 全七冊」解釈者・「啓蒙国史略」編輯・「皇朝歴代沿革図解」編輯・「入蜀記註釈. 巻第1-6」 陸游 著:大槻東陽 註釈・「国字分類 古今歴史集覧」編集・「暦代日本伝 六巻」著。82歳。妻、矢野多津子。
墓は、谷中霊園 乙3号11側。南端。正面「大槻家之墓」。墓域は荒れている。