多賀務(たがつとむ)    文政2年〜明治20年12月5日(1819-1887)

    松本藩士・官史。初名、渡辺幸右衛門。幕末の国事多難なとき京都所司代酒井忠義の家に住み、その指示に従い専ら京中浮浪の徒を取り締まる。当時三条河原に池田屋という旅館があり、浪士達の出入りが多いのに気付き、乞食に変装して軒先で偵察、所司代および新撰組に通報、慶応元年(1865)新撰組により「池田屋事件」の摘発に至る。大政奉還に際して帰藩して佐幕論を主張するも維新後は態度を変え姓名を多賀務と改めた。明治元年(1868)12月藩議事局が創設されると上局議員筆頭に挙げられる。明治3年(1870)10月少参事。明治4年(1871-1873)奥羽石巻県大参事。69歳。娘春子は鳩山和夫に嫁す。孫に鳩山一郎、ひ孫に鳩山威一郎。鳩山一郎の妻薫は、寺田栄の長女。また、鳩山威一郎の子に政治家鳩山邦夫・鳩山由紀夫がいる。

墓は、乙2号12側。寺田家墓所内。「多賀務/妻賢子 之墓」。