豊原基臣(とよはらもとおみ)     嘉永元年〜大正7年1月12日(1848-1918)

    大審院検事。名、基臣。本姓、市川。父、旧彦根藩士市川曾右衛門安宣(長男)。東京出身。東京市長松田秀雄の兄。谷鉄臣に文を学ぶ。司法省に出仕。元老院書記官。のち検事として、東京・大阪・宮城控訴院を歴任。京都地方裁判所検事正。大審院検事。正五位勲五等。弁護士。京王電気軌道会社取締役。東京市会議員。71歳。
※ エピソード:「井伊家の旧臣豊原基臣氏を筆頭として,大岡育造田口卯吉,島田三郎,肥塚龍,藤田高之,小池靖一,江原素六,須藤時一郎の9氏連署」により、直弼暗殺現場にちかい日比谷公園内に井伊直弼の銅像建設願書を、明治32年(1899)3月11日に東京市に提出したが、水戸家をはじめとして安政の大獄の被害者の関係者の反対もあって結局果たせなかった。

墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓前通路を行き、突き当りを左に行き、ぎんなん横丁に出る手前。正面「正五位勲五等豊原基臣/室 政子 墓」。「元亨院釈基観居士」。