松田秀雄(まつだひでお)    嘉永4年8月26日〜明治39年1月24日(1851-1906)

    初代東京市長。東京市議会議員から初代東京市長を歴任(在任:1898-1903)。滋賀県出身。父、近江彦根藩士市川安宜(三男)。同藩士松田莞叟の養子。明治9年(1876)上京し代言人(弁護士)となる。明治12年(1879)廃業。明治22年(1889)神田区議会議員。明治23年(1890)小笠原清務、角田真平らと、神田猿楽町に神田高等女学校を創立。明治24年(1891)東京府会議員。明治29年(1896)東京府会議長代理。東京府農工銀行頭取。明治31年(1898)衆議院議員、同年特別市制執行で初代東京市長となり、6年間市政の自治に尽くす。明治36年(1903)海岸市区改正の紛議に責任をとり退職。明治38年(1905)神田区一級候補者市会議員。兄に、大審院検事弁護士豊原基臣がいる。56歳。

※ ほかに谷中墓地に関わる東京市長は、4代阪谷芳郎、13代堀切善次郎、17代頼母木桂吉らがいる

墓は、谷中霊園甲8号10側。さくら通りから東へ約20m。大銀杏手前。正面「松田秀雄之墓」。