津田真道(つだまみち)    文政12年〜明治36年9月3日(1829-1903)

    明治期の法律家・法学博士・元老院議官・貴族院議員。幼名、喜久治・亀次郎、幕末より真一郎、維新より真道。津山藩(岡山)出身。号、恥桜居士・漏落子・天外如来・鉄薇。はじめ漢学を藩儒大村桐陽に学ぶ。江戸に出て蘭学を箕作阮甫(箕作秋坪の妻つねの父)と、伊東玄朴に蘭学を、佐久間象山に兵学を学ぶ。藩の軍事方となるも脱藩し、大久保一翁・勝海舟の客食となる。長崎に赴いたのち、再度江戸に出て箕作阮甫の塾頭格となる。その推薦で蕃書調所の教授手伝となり、西周と同僚となる。西洋留学を志望して伊東玄伯・伊藤方成・榎本武揚らと共にオランダに留学。帰朝後、開成所教授・幕府目付役。維新後、明治政府に勤め、刑法官権判事となり、清国に条約締結交渉副史として赴く。また、箕作秋坪らと「明六社」を創設し、明六雑誌に種々の論文を発表。元老院議官を経て、衆議院議員・貴族院議員に当選。法学博士を授けられ男爵となった。錦鶏間祗侯。著書編集:「新律綱領」、「泰西国法論」、「表記提綱」など。

 
墓は、谷中霊園乙10号左3側。舗装通路沿い。