山岡熊二(やまおかくまじ)     明治4年5月2日〜昭和15年7月21日(1871-1940)

    田口卯吉の義弟。父、実業家山岡義方(長男)。母、恵以子。東京出身。義兄田口卯吉を助けて「東京経済雑誌」の編纂に従事。著作も行う。のち東海銀行を経て横浜正金銀行に入り、本店・漢口・布哇・済南・大連各支店に歴任。大正2年より勤めた布哇では、妻春子と共に在留邦人のために尽力する。母の死去と考えるところあり帰朝。春子が先逝したため、継妻敏と結婚。子はない。70歳。長妹千代は、田口卯吉と結婚するも早世。季妹鶴が後妻となる。その妹力は、河田烋に嫁ぐ。なお、田口卯吉の異父姉は、木村鐙子。共編:「新編普通辞典」。

墓は、谷中霊園 甲6号6側。上領家の後ろ側。正面「山岡熊二之墓」。側面に略歴あり。