綾小路有長(あやのこうじありなが)    寛政4年4月14日〜明治14年2月12日(1792-1881)

    綾小路家14代当主。日光例幣使(朝廷から毎年日光東照宮へ捧げ物を奉納するために往来した勅使)の一人。正二位権大納言。正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで、221年間221回もの日光例幣使のうち冷泉家と葉室家が7回、庭田家が6回、持明院・油小路・千種・綾小路・野宮などの諸家が5回、それぞれ例幣使を務めた。
玉村宿(群馬県佐波郡玉村町)の本陣であった木島家の裏庭に、綾小路有長が、天保14年(1843)この本陣にて、これからたどる木曽路の安全を願って
  「 玉むらの やどりにひらく 玉くしげ ふたたび きそへ かへさやすらに 」
と歌った和歌一首が石碑に刻まれ残っている。明治4年(1871-1873)雅楽局神楽人を勤めた。89歳。なお、有長の娘は、山内豊誠の正室。孫に、旧公卿綾小路少将有良朝臣がいる。

墓は、谷中霊園乙6号5側。16代当主綾小路有良綾小路家政 綾小路護の墓もある。