大円寺(だいえんじ)     創建: 天正19年(1591)

場所: 台東区谷中3-1-2
アクセス; 千代田線千駄木駅下車。谷中方面に三崎坂を上がり途中左側、谷中小学校前。

     高光山大円寺。日蓮宗。神田加賀ッ原(現、秋葉原電気街の辺り)に創建された。開基:日授。のちに上野清水門(護国院の辺り)傍に移転し、元禄16年(1703)に現在地に移転した。正徳元年(1711)大前孫兵衛重織が摂津から瘡守薬王菩薩を安置。享保5年(1720)日芳の代に当寺内に安置。このため当山を別名高光山瘡守寺ともいう。明和5年(1768)以来2回の火災に遭い書類の多くを焼失した。当寺院の本堂は、向拝が二つあり、一つはご本尊を祀り、もう一つは瘡守(かさもり)稲荷を祀っている。本堂周りの彫刻は、左右とも森桂雲の作。最近大改修が行われ、かなり立派な二連の本堂である。境内には、錦絵で有名な「鈴木春信」の碑と、春信の絵のモデルになった「笠森お仙」の碑がある。しかし残念ながら、鈴木春信の墓も笠森稲荷もない。碑を建てるときに瘡守(かさもり)稲荷を笠森(かさもり)稲荷と錯覚したという説もあるが、一方、旗本大前近江守が宝永のころ(1704-1710)摂津芥川の笠森稲荷から分霊を白山の邸内に勧請し、のち享和年間(1801-1803)に大円寺に移したという説もある。確かに、右側の薬王殿前に「大前近江守」の墓があるが、関係は不明。本家筋の笠森稲荷は、現在養寿院にある。瘡守稲荷には瘡毒に悩む人は土団子を供えて祈願すると御利益があるという。10月の中旬に「菊祭り」が開催されにぎやかである。

左:鈴木春信碑、春信は、享保10年〜明和7年6月15日(1725-1770)。本姓、穂積。通称、次兵衛。号、長栄軒。はじめ紅摺絵の役者絵・武者絵を描く。錦絵の創始者ともいわれ多色摺木版画を主導。作品には、遊女・芸者・子供などが多い。碑は、大正8年(1919)に建てられ、笹川臨風の撰、「錦絵開祖鈴木春信」題額は、東京美術学校校長正木直彦。

右:笠森お仙碑、現在の功徳林寺の場所にあった笠森稲荷前の茶屋「鍵屋」の看板娘で江戸三美人の一人。撰文は、永井荷風。建立は、大正8年(1919)。漢字仮名交じり文で「女ならでは夜の明けぬ、日の本の名物、五大州に知れ渡るもの、錦絵と吉原なり。笠森の茶屋かぎや阿仙、春信が錦絵に面影をとどめて、百五十有余年、嬌名今に高し。今年都門の粋人、春信が忌日を選びて、こゝに阿仙の碑を建つ。時恰大正己未夏 六月鰹のうまい頃」とある。

下記のお墓がある。

初めて「君が代」を指揮演奏した人小篠秀一
江戸大相撲勧進元錣山喜平治(6代)
伯州羽衣石城主南条元清の玄孫南条俊賢
山田流筝曲家元山勢検校松風一