鳩山秀夫(はとやまひでお)    明治17年〜昭和21年1月29日(1884-1946)

    東京帝国大学教授・総理大臣鳩山一郎の弟。父、鳩山和夫(二男)。東京出身。明治41年(1908)東京帝国大学講師。明治43年(1910)同助教。明治44年(1911-1914)欧州に留学し、ボンでチーテルマンにつき学んだ後、大正5年(1916)同教授。大正6年(1917)法学博士。大正10年(1921)・大正11年の2回、国際連盟総会に随員として参加。大正11年(1922)ゼノア経済会議参列全権委員随員。民法学界の論争により義弟の末弘厳太郎らに学説を批判され、大正15年(1926)同大学を辞職し、弁護士に転じた。昭和7年(1932)衆議院議員に当選。晩年は病気がちだった。62歳。夫人は、菊地大麓の2女千代子。子半導体学者鳩山道夫(1911-1993.4.9)の妻は、弟鳩山一郎の2女玲子。著書:「日本債券法」、「債権法総論」、「債権各論」、「民法総論」。

※ 末弘厳太郎(すえひろいずたろう)の夫人冬子は、菊池大麓の3女。

墓は、谷中霊園 乙12号2側。渋沢栄一墓側通路に面する。正面「鳩山家之墓」。門弟有志の建之とあるし、墓碑は小さく鳩山一族の墓域に入っていないのが気になる。