石坂周造(いしざかしゅうぞう)     天保3年1月1日〜明治36年5月22日(1832-1903)

    攘夷派の志士、石油業界の先覚者。幼名、宗順、名は信則、号は霞山、石油斎。信濃国水内郡桑名川村(長野県飯山市)生まれ。17歳で江戸に出て町医立川宗達に師事。佐原にて村上俊五郎と会い尊王攘夷運動に入る。山岡鉄舟松岡萬村上俊五郎とともに新選組の前身である「浪士組」のメンバー。文久3年(1863)4月の清川八郎暗殺事件で投獄される。幕府の罠であった。維新後に釈放され慶応4年(1868)3月15日に山岡鉄舟の預かりとなり、静岡に移住し山岡鉄舟の妻(高橋泥舟の妹)の妹桂子と結婚、高橋泥舟とも義兄弟となる。その後、静岡県?原郡相良油田の採掘の石油ビジネスに成功し油井は100を超えた。

墓は、全生庵(谷中5-4-7)。本堂裏が墓地。ほぼ中央の山岡鉄舟墓の前。山岡鉄舟案内表示がある。正面「石坂周造之墓」。