菊池長四郎(きくちちょうしろう)・3代     嘉永5年12月10日〜大正9年8月26日(1852-1920)

    東海銀行頭取・貴族院議員。名、慧吉。父、菊池教中(長男)。屋号、佐野屋。東京日本橋出身。文久元年(1861)9歳で教中の家督を継ぎ、佐野屋長四郎となる。日本橋元浜町で呉服太物商を営む。明治22年(1889)同志・同族と資金50万円を出し合って東海銀行を創立する。明治23年(1890)東京府議会議員。商業会議所議員。明治30年(1897)多額納税者として貴族院議員に当選し2期つとめる。明治40年(1907)辞任。日露戦争の功績で従六位勲4等。日本橋区会議長。東海銀行頭取。千代生命保険・富士製紙・四十一銀行・東亜製粉・東洋モスリン・日本製麻 各取締役。書画骨董鑑定家でもある。大正9年(1920)紺綬褒章。69歳。妻美那子。養子に大橋晋二(菊池惺堂)がいる。

菊池晋二(きくちしんじ)/菊池惺堂(きくちせいどう)     慶応3年7月〜昭和10年2月15日(1867-1935)

     東海銀行取締役・日本橋区会議長。父、大橋陶庵(正壽)(長男)。母、大橋訥庵の長女誠。母方祖父は、大橋訥庵。父方祖父は、河田興。菊池長四郎の養子となりその長女イトを娶る。養父の没後に家督を相続し、4代長四郎を襲名。呉服商を継ぐ。一方、東海銀行・凸版印刷・日本共立火災・東京三興各取締役。下野電気鉄道監査役。日本橋区会議長。また、菊池惺堂の号で、南画の収集家として知られる。北宗の名品「寒食帖」を関東大震災から守った逸話が台湾で有名。69歳。

墓は、天龍院墓地(谷中4-4-33)。伊東玄朴墓後ろ側。正面「菊池家叢墓」。長四郎:「経政院得堂明卿居士」。晋二:「仲昭院性堂正晋居士」。東海銀行の献石灯篭がある。