黒川真頼(くろかわまより)    文政7年〜明治39年8月29日(1824-1906)

    「天長節」の作者。群馬県桐生出身。宮内庁御歌所寄人を経て、東京帝国大学教授となった。明治23年(1890)に裁判官の制服が定められたおりに、当時東京美術学校で風俗史を講義していた黒川真頼が考証した。明治23年からはじまった皇典講究所による「古事類苑」編纂事業の検閲委員でもあり、全国宝物取調および正倉院の宝物整理に参与する。作品に「天長節」(天皇誕生日の意味)があり、「今日のよき日は 大君の うまれたまひし よき日なり・・・」で始まる。著書:「皇国文典初学」、「皇位継承篇」、「工芸志料徴」、「黒川真頼全集」など。また黒川真頼小中村清矩木村正辞内藤耻叟、久米幹文(くめもとぶみ:?-1894)等が講演した「皇典講究所」の講演録論文が「史学普及雑誌」の客説欄に掲載されている。78歳。

墓は、天王寺墓地。原田一道墓裏。正面「正四位勲四等文学博士黒川真頼/妻 紀伊子 墓」。「文良院学山眞頼居士」。