松平斉(まつだいらひとし) 明治7年〜?(1874-?)
分家男爵。父、津山藩主松平斎民(8男)。松平康民の弟。母、松平維賢の娘松平敏。明治21年(1888)分家して、斎民の功績を評価され男爵となる。明治29年(1896)植物学研究中に行方不明となる。夫人は、浪子。
松平浪子(まつだいらなみこ) 明治13年9月17日〜昭和29年1月13日(1880-1954)
徳川慶喜の8女。母、中根幸子。73歳。
松平斉光(まつだいらなりみつ) 明治30年〜昭和54年5月14日(1897-1979)
都立大学名誉教授・貴族院議員。父、松平斉(長男)。母は、徳川慶喜8女浪子。東京出身。明治36年襲封。大正10年(1921)東京大学法学部副手。日本大学j・法政大学講師。昭和7年(1932)フランスのソルボンヌ大学にて社会学および祭礼に関して研究する。昭和15年(1940帰国。政治思想史の研究家。貴族院議員。夫人は、徳川圀順の叔母で、水戸徳川家11代藩主徳川昭武の三女直子。82歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓の東側低地部の山藩松平家合祀墓(大きな五輪塔)の裏手。正面「松平家之墓」。松平斉は没年不明のため墓誌に没年日が記されず。
※ ○男、○女の○の部分は、資料により分かれるが、「徳川将軍家墓碑総覧」による。