松浦佐用彦(まつうらさよひこ)    安政4年〜明治10年7月5日(1857-1877)

    大森貝塚発掘者モースの助手・東京大学創生期の動物学者。名、佐譽彦。高知県出身。明治10年(1877)モース博士がアメリカから来日し、東京大学の教授となると、モース教授の動物学教室に集まった俊才の一人。モースと共に大森貝塚を調査する。病気のため学生のときに没する。

墓は、谷中霊園乙6号2側。正面「高知県松浦左用彦墓」。東京大学有志により建てられた。裏に、モースの献辞文が英語で書かれている。モースが遺した唯一の石碑である。墓碑裏には、享年22歳とある。

    A Faithful student, a sincere freiend. a lover of nature. Holding the belife that in moral as well as in physical questions. "The ultimate court of appeal is observation and experiment, and not authority" Such was Matsura. Edward S. Mors

    「忠実な学生、誠実な友人、自然を愛する人。モラールにおいてのみならず物質的な問題でも”最後に訴えるべき所は、権威ではなく、観察と実験だ”との信念を持ち続けた。これが松浦だった。

谷中墓地で関係のある人々は、外山正一矢田部良吉石川千代松田中芳男

モースの献辞文