箕作元八(みつくりげんぱち)    文久2年5月29日〜大正8年8月9日(1862-1919)

    動物学・西洋歴史学者。号、南亭。江戸出身。父、津山藩医箕作秋坪(四男)。明治4年(1871)長兄奎吾が没し家督を相続。東京外語大学で英語を学び、ついで東京帝国大学理科大学で動物学を学ぶ。明治19年(1886)ドイツフライブルグ大学に留学、ロイズマン教授について動物学を学ぶが、強度の近眼のため留学中にハイデルベルグおよびベルリン大学で西洋史学へ転向。明治25年(1892)帰国。東京高等師範学校教授、第一高等学校教授を経て、明治33年(1900)フランスに留学し主にフランス大革命を研究。明治35年(1902)東京帝国大学の「西洋史」教授となる。文学博士。陸軍大学で世界大勢史、海軍大学で海戦史、大学法科で外交史を講義。川柳・俳句の趣味がある。従三位勲二等。58歳。著書:「第十八世紀仏蘭西文化史」、「社会運動史」、「西洋史講話」、「西洋史新話」、「仏蘭西大革命史」、「ナポレオン時代史」など西洋史関係多数。兄に洋学者箕作奎吾・数学者菊池大麓と動物学者箕作佳吉がいる。子に、化学者で作曲家の箕作秋吉(長男)、工業技術家の箕作洋輔(次男)、医者の箕作綾子(長女)がいる。

箕作秋吉(みつくりしゅうきち)     明治28年10月21日〜昭和46年5月10日(1895-1971)

     理学博士・作曲家。箕作家4代当主。ペンネーム、秋吉元作・秋山準。父、箕作元八(長男)。東京本郷出身。東京帝国大学工学部応用化学科卒業。大正10年(1921)ドイツ留学。ベルリンのカイザー ウイルヘルム研究所で物理学を専攻、傍らGシューマンに和声学を学ぶ。大正14年(1925)帰国。海軍技術研究所に勤務。池譲・池内友次郎に対立法やフーカを、ヨーゼフ ケーニヒに管弦楽法を、ジョゼフ ローゼンストックに指揮法を学ぶ。昭和5年(1930)新興作曲家連盟(日本作曲家連盟)を創設。昭和14年(1939)理学博士。同年、「小交響曲」でワインガルトナー賞に優等入賞する。昭和20年(1945)戦後すぐ日本現代音楽協会設立に尽力、初代委員長に就任。国際音楽評議会日本委員会書記局長。東洋音楽大学教授、新潟大学講師を歴任。音響学による数式で東洋の和声体系を証明、作品に実践する。昭和25年(1950)「芭蕉紀行集」で国際現代音楽祭に入選。昭和29年(1954)「ピアノ小協奏曲」で尾高賞受賞。同年、国際音楽評議会日本委員会書記長に就任。 作品:「音楽の時」、「古典小交響」、「古典バイオリンと室内オーケストラのためのソナタ」、「交響曲第1」、「管弦楽のための3楽章」、童謡「お月さま」、童謡「叱られ坊主」、童謡「なわとび」、童謡「ひなたぼっこ」、悲歌「亡き子」、新津工業高校校歌、「花にちなんだピアノ曲」、「ピアノ協奏曲」など多数。

墓は、谷中霊園乙5号2側(飛び地)。箕作一族の区画の通路側。正面「箕作家之墓」。