箕作奎吾(みつくりけいご) 嘉永5年1月26日〜明治4年6月14日(1852-1871)
教育者。名、寧。父、箕作秋坪(長男)。祖父、箕作阮甫。江戸津山藩邸で生まれる。中村正直に入門。慶応2年(1866)開成所教授補。中村正直・菊池大麓・林薫・市川盛三郎・外山正一・伊東昌之助ら13人と幕府留学生に選ばれ15歳で渡英し、軍事伝修・政治・兵制等諸学術を研究。幕府倒壊のため帰国。家督を継ぐ。明治維新後、大学南校大助教・少博士。明治4年(1871)辞して父の「三叉学舎」で教鞭を執る。明治4年(1871)隅田川で遊泳中に溺死。20歳。母は、箕作阮甫の二女常(呉黄石の義妹)。兄弟に、菊池大麓・箕作佳吉・箕作元八がいる。正七位。20歳。家督は、元八が継ぐ。
墓は、谷中霊園 乙5号2側(低地側飛び地)。箕作家墓域に入り、右側。正面「箕作奎吾之墓」。