大橋巻子/大橋槇子(おおはしまきこ)    文政7年10月29日〜明治14年12月23日(1824-1881)

    歌人・勤王家。父、豪商佐野屋孝兵衛こと大橋淡雅。母、民子。菊池教中の姉。江戸出身。父、大橋淡雅は、菊地家の養子だったが、大橋姓を名乗り、娘巻子が19歳のときに商人ではなく儒者清水正順(こと大橋訥菴)を婿養子に迎え、大橋姓を継がせた。国学を吉田敏成に、歌学を母民子から習い豊かな文才を現わした。大橋訥菴が坂下門外事件に連座して入牢した際は、気丈夫な性格からその救済に奔走した。当時の心境などをまとめた歌物語風の「夢路の日記」は志士に共鳴し評判となった。夫は獄中で病気となり、出獄数日後に病没した。夫の没後は、なお夫の開いた「思誠塾」で永く学生を世話した。58歳。長女誠の婿養子は、大橋陶庵

墓は、天王寺墓地。大橋訥庵墓域内。正面「大橋氏巻之墓」。「貞荘懐之大姉」。のちの人は、その功績を賞して「貞荘孺人」という。