八杉貞利(やすぎさだとし) 明治9年9月16日〜昭和41年2月26日(1876-1966)
「岩波ロシア語辞典」の著者・ロシア語学者・日本におけるロシア語研究の先駆者・東京外国語大学名誉教授。父、軍医八杉利雄(二男)。母、村松志保子の妹春子。東京墨田区横網町出身。生後10日で母を亡くし、7歳で父を亡くし、父の親友の石黒忠悳を後見人として、父の養母節子により育てられる。高等師範学校付属小学校・同中学校・第一高等学校を経て、明治30年(1897)東京帝国大学文科大学言語学科に入る。東京帝国大学在学中にアイヌ語を学ぶ。明治33年(1900)東京帝国大学言語学部卒業。のち、上田万年の指示で東京外国語露語科に学ぶ。明治34年(1901)陸軍少将岩崎達人の長女名美と結婚。同年文部省より露都(モスクワ)留学を命じられ、2年半露都で研修する。明治36年(1903)東京外国語大学教授となる。日露開戦の直前にロンドンへ向い明治37年(1904)帰国。さらに大正14年(1925)と昭和3年(1928)にも革命後のソビエトを訪問。東大・早大講師。昭和26年(1951)日本ロシア文学会を創設し会長を務める。昭和35年(1960)紫綬褒章受章。昭和36年(1961)朝日文化賞受賞。昭和39年(1964)レニングラード大学名誉博士となる。91歳。帝国大学在学中には和歌壇で活躍。著書:「岩波ロシア語辞典」、「ロシア文法」(木村彰一共著)など。
墓は、乙2号3側。当該ブロック南側端。植え込みに囲まれている。正面「八杉貞利/妻 名美 墓」。伯母の村松志保子碑(墓?)の前。