横山桂子(よこやまかつらこ)     寛政12年〜安政2年8月20日(1800-1855)

     江戸後期の女流歌人。名、みち・三千子。号、月の舎・月舎・天香。本姓、大村。父、大村成富。横山平馬の妻。横山由清の養母。江戸出身。伊予吉田藩主夫人の侍女。女官となり本間游清に和歌を学ぶ。「月前紅葉」と題した詠歌が仁孝天皇の目にとまり、"桂子"の名をあたえられ、女官となる。56歳。歌集:「桂の花」。

※ 「月前紅葉」:あかぬかな月すむ夜半に散る紅葉かつらの花のここちのみして

横山由清(よこやまよしきよ)    文政9年〜明治12年12月2日(1826-1879)

    ロビンソン・クルーソーを日本に紹介した国学者。本名、横山保三。号、月舎。父、塚越敬明。東京出身。女流歌人横山桂子の養子。和歌を義母や井上文雄に学び、国学を本間游清や伊能頴則に学ぶ。和学講義所教授。維新後、昌平黌資料編纂。大学中教授。大学編輯寮権少外史として木村正辞と共に国語辞書の編輯総裁となる。制度局御用掛語箋編輯して法律制度の発布に尽力。元老院書記官に進み黒川真頼らと「皇位継承篇」、「纂輯御系図」、「刑法篇」、「戸籍篇」、「田制篇」、「住居篇」、「賃貸篇」、「後見人篇」、「皇権篇」、「後宮篇」、「旧典類纂」の編輯に従事。洋学にも関心が高く、「ロビンソン・クルーソー略伝」の訳「魯敏遜漂行紀略」を安政4年(1857)32歳で自費出版した。晩年東京帝国大学教授となり日本古代法制史を講義。従六位。54歳。著書:「食貨志略」、「婚礼通考」、「貨幣度量権考」、「継嗣法略」、「歴朝政治改革史」、「日本人種論」、「上古売買起源」、「勲位考」、「元服沿革」、「佩刀沿革」、「本朝戸口考」、「流刑旧例」。

横山不学(よこやまふがく)     明治35年5月22日〜平成元年3月1日(1902-1989)

     建築構造技術者。東京都出身。東京帝国大学工学部建築学科卒業。建築学科教室主任佐野利器教授の指導により日銀臨時建築部に勤務。のち、行政組織の中での構造設計監理の第一人者となる。戦災復興院技官を経て昭和25年(1950)横山建築構造設計事務所主宰。同級生の建築家前川国男(1905-1986)と組み、東京海上火災ビル・東京文化会館・東京都美術館・国立西洋美術館などの構造設計をする。建築家ではなく我が国有数の構造技術者と位置づけられる。木村俊彦をはじめ多くの優れた構造技術者を育てる。87歳。著書:「建築構造設計論−理念の追求と展開」。

墓は、甲9号6側。正面「横山家先祖墓」。熾仁親王題額・細川潤次郎撰文・金井之恭書の碑は横にある。桂子の夫の横山平馬も合祀。