花岡真節(はなおかまふし/しんせつ)    天保10年8月28日〜明治17年10月7日(1839-1884)

    将軍侍医。父、静岡県士族花岡吉次郎。信濃国筑摩郡里山辺村(長野県)出身。17歳で江戸に出て桐原鳳卿に師事。林洞海・大村益次郎・坪井信道と親交を持つ。22歳のとき桐原鳳卿の養子となる。松本良順(順天堂創始者佐藤泰然の子)会に入る。その後、東京府の命令で松本良順が長崎へ赴くときに随行し、シーボルトの指導を受ける。慶応元年(1865)医学所教授。明治2年(1869)東京大学医学部助教授となり、解剖学を講じる。のち文部省7等出仕。明治10年(1877)東京大学医学部4等教授。すぐ医学部教授となる。明治14年(1881)花岡姓に戻る。明治17年(1884)第一病院長を兼ねる。

花岡敏夫(はなおかとしお)     明治7年〜昭和12年7月31日

     明治から昭和前期の法学博士。父、桐原直節(二男)。長野県出身。花岡真節の養子となる。東大教授。法学博士。のち弁護士事務所を開設。64歳。著書:「破産法案ト債務免除主義 」、「国際私法上ヨリ観察シタル我民事訴訟法修正案 」、「地震約款無効論」、「増補改版英國新會社法論」、「地震火災と裁判所(3)」、「我法律上ヨリ観タル倉庫ト金融」、「我商法會社編ノ實質上ノ不備ヲ論ズ」、「英国新会社法論」、「平民ワシントン」など多数。

※ 「法律大辞書」の主要執筆者の中に、次の名前が見える。

     東京帝国大学法科大学講師 鳩山 秀夫・弁護士 花岡 敏夫・京都帝国大学法科大学教授 春木一郎・東京帝国大学法科大学講師 穂積 重遠・内務省参事官 杉山四五郎・東京帝国大学大学院学生 河田 烈

墓は、谷中霊園乙10号9側。舗装通路より約20m。正面「東京大学教授正六位花岡真節之墓」。真節:「玄徳院殿天真守節大居士」。敏夫:「法蓮院實温悟敏居士」。碑は、甲1号1側霊園事務所前。