河田省所(かわだしょうしょ)/河田烋(かわだきょう)     安政3年〜明治44年(1856-1911)

    儒者。名、烋。父、河田廸斎(七男)。母、佐藤一斎の8女。静岡県出身。長男河田寛堂の家を継ぐ。明治9年(1876)ころ東京府2等訳官。明治19年(1886)内務省県治局府県課長。明治23年(1890)貴族院書記官速記課長・逓信書記官・電信灯台用品製造所長。明治33年(1900)逓信秘書官。明治36年(1903)東京郵便電信学校長。明治38年(1905.2.10-1908.9.12)第2代尾崎行雄市長時の東京市助役。56歳。夫人は、山岡義方の二女理起子。
※ 東京市長:第1代松田秀雄、第4代阪谷芳郎、第13代堀切善次郎、第17代頼母木桂吉。 歳。

墓は、天王寺墓地。河田寛堂墓と同域内。正面「省所河田先生墓」。墓碑に没年日なし。夫人の理起子慕は、隣りにある。