向軍治(むこうぐんじ) 元治2年2月16日〜昭和18年12月28日(1865-1943)
関西大学の名物教授。父、新庄軍兵(二男)。山口県岩国出身。長じて向家を継ぐ。向家は、岩国藩主吉川侯の世臣。明治17年(1884)独逸学協会学校に入学。ドイツ人シュビンナー宣教師の影響を受け、宣教師を志し、明治20年(1887)ドイツ普及福音新教伝道会の新教神学校に転校。のち、東京農林学校講師・シーメンス社・慶応義塾講師。その間、仙台第二高等学校・金沢第四高等学校に転職。大正7年(1918)慶応義塾を退職。昭和3年(1928)関西大学講師となり約7年間在職。「ローマ字ひろめ会」・「言文一致会」などの文化運動を行う。昭和10年(1935)関西大学を退職。79歳。
※ 「ローマ字ひろめ会」は、日本語をローマ字で書くことを広める目的で、明治38年(1905)10月に設立。その後、明治39年(1906)12月に林薫が副会頭に、明治40年(1907)1月に西園寺公望が会頭に就任。また、同会の評議員には,藤岡勝二・巖谷秀雄・鎌田榮吉・神田乃武・菊池大麓・小西信八・日下部重太郎・前島密・向軍治・根本正・阪谷芳郎・櫻井義肇・澤柳政太郎・田丸卓郎・田中館愛橘・上田萬年・渡部董之介・山川健次郎などの名が見られる。
墓は、谷中霊園 乙10号22側。正面「向家累代之墓」。