大谷靖(おおたにやすし)    弘化元年9月14日〜昭和5年3月6日(1844-1930)

    内務書記官・錦鶏間祗候。父、大谷権右衛門政好(大谷浦鶴:1810-1897)(長男)。山口県岩国出身。明治2年(1869)岩国藩より福岡県の官史となる。以後、大蔵省権書記官・同書記官・明治15年(1882)太政官少書記官・明治15年(1882-1885)太政官権大書記官・造幣局出張所長を歴任後内務省に移り、内務大書記官・内務省会計局長・同庶務局長兼造神社副使・内務書記官等を歴任。大正3年(1914)退官。錦鶏間祗候。済生会理事長。明治8年(1875)貴族院議員。正三等勲二等。87歳。ちなみに、同郷の江木千之の娘秀子と養子翼との結婚の媒酌を務めた。
※ 錦鶏間祗候:大日本帝国憲法下の宮中の資格の一。華族や官吏で功労者を優遇するのが目的。麝香間祗候の次に位置する。錦鶏間とは本来は京都御所内の部屋の一つ、御学問之間のこと。当サイトでは、岩村通俊津田真道原田一道岩男三郎らがいる。

墓は、谷中霊園 乙10号21側。正面「正三位勲二等大谷靖墓/室美津子墓」。父の大谷政好(号、浦鶴)墓も隣りにある。