片山国棟(かたやまくにむね)     嘉永元年〜明治4年11月21日(1848-1871)

    明治初期の大学得業生。姓、源。遠江国浜知郡(静岡県)出身。家は、代々医者。明治2年(1869)大学東校にて医学を学び、少得業生。明治3年(1970)川村重固・樫村清徳・岡本則録らと大学中得業生に昇り、のち大得業生兼少舎長。24歳。訳書:「英国軍陣方彙」。

※ 得業生(とくごうしょう): 明治期の制度では、研究に従事しつつ教授らの業務を補佐する身分。したがって、墓碑題額が、大学東校(東京大学医学部)に勤め大博士となり、明治天皇侍医・文部大丞・文部大教授大典医となった佐藤尚中が書いていることから推すと、佐藤尚中に従っていたことが推察できる。

墓は、谷中霊園 甲2号8側。正面「片山氏之墓表」。来歴は関雪江書、佐藤尚中篆額、広群鶴刻。若年で没したため、多くの方々の寄付によって墓碑が立てられた。その氏名は墓碑裏に記載されており、次のとおり。

佐藤尚中・岩佐純・司馬?之・坪井為春・島村辞・石井信義・桐原真節・足立寛三宅秀長谷川泰石黒忠悳小林義直・土岐頼徳・樫村清徳・八杉利隆・小山内建・海瀬敏行・田口和美・内田正・長井長義・片山忠次・藤田正方